先週あったベビーシッターによる子どもの虐待死の事件は何ともやりきれなさを感じます。そもそもネット上で見ず知らずの人に預けてしまうという怖さ、我々世代には考えられませんが、ネット世代の若い人たちにはありという事でしょうか。
とはいえ経済的な理由もあり、母親をただ責めるのも酷なような気がします。22歳という若さで二人の母親、預けるのにもそれなりの理由はあったと思うのですが、それでもネットの情報を安易に信じてしまう怖さを感じています。
小中学校の教職の経験もある私にとって、子供の成長というのは驚きの連続でもあり、その成長ぶりは楽しいものでもあります。一方で子育てというのは我慢の連続、自分の子供でさえイラッとする時があるのですから他人の子どもであればなおさらではないかと・・・。
「育てる」言葉で表現してしまえば、わずかに三文字ですが、実はとても気の長い辛抱の連続でもあると思います。それだけに金額という切り口が優先し、面識のない人に託してしまうという安易さがネット社会の落とし穴ではないかと・・・。
育てるというのは我々にとっては「社員教育」。この社員教育も辛抱と我慢の連続。こうした表現はなにか上から目線に取られてしまいそうですが、他人をコントロールすることはできないだけにこの感情との戦いではないかと。
来月から4月になります。新入社員がまた入社する季節となりました。組合では今年も新入社員教育を合同で行う事にしています。一社ではなかなか手厚い教育ができないだけに、次世代の若手を育てていく事は急務です。
そして受け入れる我々も真剣に向き合い、共に歩む「共育」が必要だと思っています。子供を育てるのと社員教育は必ずしも同一ではないですが、社員教育を受けた後のフォローをしっかりとしたいと思っています。
それにしてもネット社会の怖さをあらためて感じた今回の事件、便利で安易なものこそ気持ちや思いはなかなか伝わらないのだと思うべきではないでしょうか。効率を求めるものと効率では解決できないものがあることをあらためて感じます。