こんにちは。オンデマンド機担当のOです。
最近YouTubeのオススメでモールス信号やポケベルの動画を見てしまい、
「こういう古い連絡手段って良いなぁ」と思ったので記事にしてみます。
とはいえ、私はポケベルの時代を知りません。私が中学生になった頃、ちょうど携帯電話の画面がモノクロからカラー液晶に変わりはじめた時期でした。友人たちと「白黒とカラー、どっちの機種を持っているか」で盛り上がっていた記憶があります。つまり、私が物心ついてすでに携帯電話は身近なものであり、ポケベルはすでに過去の遺物だったのです。ですから「ポケベル」と聞いても、それは歴史の一コマとしてしか知りません。数字だけのメッセージ、公衆電話からの折り返し、そして「4649(よろしく)」のような、限られた数字で気持ちを伝える暗号のようなやりとり。
不思議なことに、そんな時代を知らないはずの私が、その不便さに、なぜか少し憧れてしまいます。
今、私たちの連絡手段は驚くほど発達しました。メール、チャット、ビデオ通話。文字も、声も、表情さえも、一瞬で相手に届きます。便利になったことは間違いありません。けれど、その便利さの中で、何かを置き忘れてきたような感覚が、ふと胸をよぎることがあります。
「不便益」という考え方
こうした感覚には、実は名前がついています。「不便益(ふべんえき)」という言葉です。文字通り、不便であることが生み出す益、価値のことを指します。
たとえばポケベル。数字しか送れないという制約があったからこそ、「4649」のような、限られた記号の中に思いを込める工夫が生まれました。相手からの連絡を待つ時間には、想像を膨らませる余白がありました。すべてが即座に、正確に伝わる今のコミュニケーションにはない、ある種の「間」と「工夫の余地」が、そこには確かに存在していたのだと思います。
便利さは、常に何かを効率化する代わりに、何かを削ぎ落とします。不便益とは、その削ぎ落とされたものの中にこそ価値がある、という視点なのです。
そういえば、私たちも「不便」を選んでいます
ここまで書いていて、あることに気がつきました。
私たち印刷業も、まさにこの「不便益」を生業にしているのではないか、ということにです。
伝えたいことがあるなら、今はデジタルで一瞬です。データを作り、画面に表示すれば、それで済んでしまいます。けれど私たちは今も、紙を選び、インクを選び、機械を動かし、時間をかけて、ひとつの印刷物を仕上げています。効率だけを考えれば、明らかに「時代に即していない」やり方なのかもしれません。
それでも、この手間のかかるプロセスを、私たちは手放さずにいます。
手間の先にあるもの
出来上がった印刷物を手に取ったとき、そこには画面の中にはない質感があります。紙の重み、インクの匂い、指先で感じるわずかな凹凸。そうしたものは、効率化の中では生まれてきません。時間をかけて、手間をかけて作られたからこそ、そこに宿る何かがあるのだと思います。
デジタルな情報は、便利で、速く、正確です。けれど、形に残りません。一方で印刷物は、不便で、遅く、手間がかかります。けれど、確かにそこに在り続けます。
ポケベルへの憧れの正体は、もしかしたらこの「在り続けるもの」への憧れだったのかもしれません。
不便を、あえて選び続けるということ
効率だけを考えれば、印刷という手段は少し遠回りなのかもしれません。それでも、手間をかけた分だけ何かが残る、というのも事実だと思います。
ポケベルへの憧れから始まった話でしたが、案外、身近なところに似たようなものがあるのだと気づかされました。


